普遍の真理「般若天経」

今、この瞬間にも人生は刻々と進み続けている。

1秒を刻むごとに過ぎ去った時は過去となり、再び時が戻ることはない。

今のこの一瞬を無為に過ごすのではなく、明日という未来のために今という時を活かそうと誰もが願うはずだ。

しかし現実を直視したならば、人生は希望に満ち溢れる時ばかりではなく、多くの人々が足元をとらわれ人生の厳しさに直面している。

悲しいことに自己の切り拓く未来を前途遼遠の思いで模索している現実がある。

 

人生とは何か。生きるとは何か。

 

釈迦が云うように、人の人生とは苦しみの連続だと云うのか。

または、聖書に描写されているヨブが如く、辛苦にただひたすら沈黙を続けることが人の人生とでも云うのか。

仏教や聖書が遺した教えは、人が人としてどのように生きてゆくかを数々の表現で指し示した英知の結晶ではあるものの、その根底にあるのは人生で直面する苦しみや悲しみを反映させた悲観的な人生哲学が主体である。

現実を直視するからこそ活路が開けるという発想は一つの道だ。

しかし、先達が遺した英知だけでは、この世に生を受けた全ての人々を救済に導くことは困難である。

 

故に天が在る。

天と出逢い、天声に耳を傾け、天行力を人生に活かすことができたならば、人生に悲観することなく、また運命に翻弄されることなく輝ける明日を望めるのだ。

 

私、二代目・法源は、今の時代に合った方法で天意、天声を発信している。

昨年12月より開始した天喜びの大樹ホームページ然り、または公式ツイッター然りである。

天喜びの大樹は、天とともに人生を歩む「易行」を信条とする団体であるゆえに、これは至極当然な情報発信と云えよう。

誰もが平等に天と向き合えることが何よりの至上である。

一部の、既に天と縁を得ている者にとって、真理の言葉である天意、天声が安易な形で発信されていることに違和感を覚えるかもしれない。

或いは、言葉の威儀や天の尊厳を軽んじている、など感じる者が現れるかもしれない。

しかし、それが何だと云うのだ。

天を秘仏のような扱いで厨子に隠し、世を照らす光を遮ってどうすると云うのだ。

もう一度云うが、天意、天声、また天行力は誰もが平等に享受できる絶対権利なのである。

 

では、どのように天意、天声を自己の人生へ反映させ、天行力を生きる活力へと繋げることができるのか。

天は「般若天経」へ根拠を示した。行ではなく経である。

この世に普遍の真理を説いた天の啓示である「般若天経」は、古代中国から輸入された仏教経典の一つである「般若心経」を起源に、先代法源師の智慧によって編纂された天意の導因が記された経である。

しかし、普遍の真理を説いた「般若天経」ではあるものの、この経自体に人の運命や宿命を凌駕させる程の天行力は宿っていない。

あくまで「般若天経」は天の示す標語であり、肝要なのは如何に「般若天経」を正しく解釈して自己の人生に反映させるかにある。

そのためには何が必要か。読誦や写経をただ繰り返す「行」は必要ではない。

必要なのは「般若天経」を理解して「覚る」ことだ。

覚れば、自ずから観いが源く。

それが「般若天経」の役割である。

 

今回、ホームページへ掲載する二代目・法源訳「般若天経」の現代語訳と意訳は、心に源く観いによって真価を得られることだろう。

人類が永きにわたって創出してきた固定観念に対し、否定を重ねに重ね導き出された世界にこそ求めていた光があるはずだ。

「空」という概念すらも包括する大きな天の存在が、この世に在る全ての人生を喜びへと導いてくれることを確信している。

 
 

→「般若天経」現代語訳へ

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