法源メッセージブログ

『天意』

天は在る、と云ってきた。

この世界に天意は在る、天声は在る、天行力は在ると云ってきた。

誰が云う。神か仏か。いや違う。

天は、それらを超えたもっと大きな存在だ。

天の意、天の声は唐突だ。

言語でもなく、形でもないメッセージが突如として湧き上がる感覚だ。

天の発する大きなうねりを「最高」と訳した初代法源師は、素晴らしい翻訳家だと思った。

それは、耳が壊れるくらいの大音量で伝えられる。

それは、目が焼けるくらいの強烈な光で伝えられる。

それは、重力が何倍にもなったような圧力で伝えられる。

激しい音や光に秘められたメッセージを言語に訳し伝える。

それが天とのパイプ役だ。

天の意を受け継ぎ、その天意をより正しく伝えるため、真のパイプ役として私がこれより天声を発していく。

私が正統な二代目法源である。

天は無限である。

歳月が流れようとも天が潰えてしまうことはない。

さらに、生命が誕生し続ける限り、人間が営みを続ける限り、天は意を、声を発し続けるだろう。

しかし、人間は有限である。

初代法源師も然り、生身の人間である。

天の意、天の声を受け止めるには肉体的限界が近い。

それを天は見逃しはしない。

ここに、初代法源師へ深甚なる感謝の意を表したい。

彼は世の人々へ、天の存在を広く知らしめた。

彼は人生を天に捧げ、彼は人生の全てを懸けた。

そして、天との繋がりを体系化した。

空海、日蓮、親鸞、先達たちが遺した原石は、初代法源師の手によって極限まで磨き上げられたのだ。

彼が智慧の結晶を成したのである。

素晴らしい功績を讃えるものである。

しかし、彼が人生を懸けて磨き上げた結晶は未だ完成されてはいない。

第三救済と称した天の示す道は、このまま道半ばで良いはずがない。

天の極致へ到るには、まだまだ未熟であることは承知しているはずだ。

しかし、天は寛容である。

誰一人として見限ることはしない。

初代法源師の訳した天声、示す道は難行であった。

ごく限られた人間にしか実践できない険しく厳しい道だ。

己を厳しく律することで人間完成を成就させるプロセスは、彼が天意を解釈した上で独自の発想から構築された一つの道である。

それは、とても受け止めきれない大いなる存在である天が救済完結を待望するあまり、焦燥をぬぐいきれなかった初代法源師のやむない発想だった。

しかし、残念ながら苛烈を極める難行に、脱落者が後を絶たない現実がある。

私、二代目法源は、難行からの脱却と、誰もが天と結ばれる易行をここに約束する。

易行を実践するべく初代法源師が訳した天声を一部訂正させていただく。

これは否定ではなく訂正だということを伝えておく。

天の加護は、天上天下に等しく平等であり、業徳混在の人生に於いて分け隔てなく分配されるものである。

行の深浅にとらわれる必要は一切ない。湧かし合う必要もない。

天上界へ繋がる糸は無限にあり、その糸を手繰り寄せれば誰もが天へ往ける。

大切なのは素直な観い。天を観る心と、慈喜を宿す想いである。

それが真の赤い糸の正体である。

法唱、法筆、法座の繰り返しは、自然に生かされる人間の生命体が、自然との融合を果たすリズムをつかむには確かに有効ではあるが、繰り返しの行が天の極致へ到る唯一の方法であるという解釈は盲目である。

しっかりと刮目して天を観よ。そして天の声を聴け。

願わず、求めず、頼まずという概念は虚空ではなく虚無である。

豊かな日常を願い、人生の喜びを求め、天を頼ることで素晴らしい明日が拓けるのだ。

その懇望の繰り返しこそが素晴らしき人間の一生である。

没我に固執してはならない。

自己を犠牲にして他人へ施す行為は時として人間本来の成長を促すものだが、自己の痛みも鑑みず固執し続けるならば即ちこれは自分自身への欺瞞である。

天はそれを望んではいない。

自己の人生を慈しみ、自己の毎日を喜べる者にこそ真の道が示される。

己の痛みを知らない者に、他人の痛みを和らげることはできない。

天は心にある葛藤を失くせと云っている。

葛藤が消え去れば自ずから頭は取れる。

ここに挙げた訂正は天の伝えんとする真実、紛れもない天声である。

今回はごく一部のみ訂正させていただいた。

既存の示されてきた天意と相対する新たな天声に、ある者は戸惑い、ある者は動揺するだろう。

しかし、七観行を観るがいい。

七つの項目の根底にある観いとは何か。

観いの源流は個々の人間の肚から湧き起こった魂の願望そのものである。

天行力とは遍く照らされる熱源である。

観行力とは自己の喜びを熟成させた熱意である。

想行力とは人を慈しむ情熱である。

親、兄弟、人生の伴侶、そして大切な子供たち。

未来はかけがえのない存在と共にある。

喜びに満ち溢れる人生を全うせよ。

最高になる瞬間が天の極致であることを忘れてはならない。

そのためには自己を敬う必要がある。

貧して険しい道を往く時代は終わりを告げる。

初代法源師が示した道は旧道である。

新道を往け。

天が人を罰することなどあろうものか。

迷わずに新道を進め。

 

新道の名を 天喜の結び と称する。

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